2017/3/2 無

卒論が終わって暇になった。無のことばかり考えている。

 

見渡す限り無しかない。ノートもパソコンも空のペットボトルも椅子も暖房も服も全てが借り物の表象で、そこに絶対性はない。揺らがないものも見いだせない。

 

考える時間が長いと気分が沈む。走ったりトレーニングしたりする時間は没頭できるから気晴らしになるし、何より自分がモチベーションを持ってそれをしたいと思っているのが救いだ。

実存主義的にはこうした埋没は批判されるべきものなんだろうけど、僕はむしろもっと日常に埋没したい。存在も時間も認識も考えたところで誰も救えない。誰が哲学を偉そうな学問にしたんだろう、こんなの暇人と金持ちと馬鹿の道楽だ

 

哲学的思索はファンタジーとして楽しんで、浸食されないのが目標だ。

 

春が近い。昼間学校に行ったら空気に靄がかかったようだった。眼鏡を拭いたら直った。